ドリュアスの嘆き:7.4



「すぐに案内しろ!」

 椅子をひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がるに、少年は首振り人形のようにコクコクと何度も首を縦に振った。
 最も欲しい回答を即座に得られた事に満足したは、コクリと一度頷き、颯爽と身を翻して家を出ようとする。しかし、その細く小さいくせに力強さと威厳すら感じる背中に、少女の迫力にしばし呆然としていたヨハンから、慌てた声で待ったがかかった。
 出端を折る絶妙ともいえるそのタイミングに、は不快も露に少年をねめつける。ヨハンはそれに気おされながらも、ごくりと唾液を飲み込んで言葉を発した。

「い、行くのはいいけど、その前にここを片付けなきゃいけねぇだろうが」

 顔をこわばらせながらもしっかりと自己主張をした少年から視線を外し、は室内をぐるりと見渡した。
 机の上に山と詰まれた日記に、先ほどののPKで散乱してしまった日記。取り出してきた日記と言う日記が、これでもかと言わんばかりに室内を散らかしていた。
 そんな室内の様子にヨハンは先ほどとは又違う意味で顔を引きつらせげっそりとしていたが、視線をめぐらせていたは事も無げに「…あぁ」と呟くと、右手を胸の高さまで上げ、ちょいと人差し指を跳ね上げた。

 瞬間。

 ザァッと音を立てて、室内に散らばった日記と言う日記が宙へと浮き上がり、隣室の保管庫へと列をなしてなだれ込んだ。は小宇宙を通して隣室を己の中の目で見ながら、PKを駆使して日記を順序良く本棚の中へと収納していく。
 浮き上がった本をあんぐりと口を開けながら見ていたヨハンは、次の瞬間はっと我に返ると、本に続いて隣の部屋へと駆け込んだ。そして再び、呆然と口を開ける。彼が数十分、数時間とかけて何度も何度も往復し出して入れて出して入れてを繰り返していた事が、彼女の動作一つ、ほんの指の一振りで終ってしまうだなんて。
 最後の一冊が収まりきるまで、あんぐりとその様子を見ていたヨハンは、ひくひくと顔を引きつらせ、身体を震わせた。そして入ってきたときの倍のスピードでの元まで戻ると、無感動に――仮面の所為で表情まで分からない――「行くぞ」と背を向ける少女をぎりぎりと睨みつけた。

「あんた本当は手伝いなんかいらなかったろ! こんな事ができるんなら、最初からやっとけよっ!」

 顔を真っ赤にして怒鳴るヨハン。
 望む望まざるにかかわらず発達してしまった聴覚にそれはキーンと響き、は指で耳に栓をして、眉間に皺をよせた。キャンキャンと煩い子犬のようにわめく少年を、見た目年下の少女はじろりと睨みつけ、ぱちりと瞬きを一つ。空中に現れた一冊の薄い冊子は少年の脳天に直撃し、スコーンと非常にイイ音を立てた。ギャッと短い悲鳴を上げて頭を抱えうずくまる少年を一瞥すると、は何事もなかったかのように踵を返し、扉へと手を添えた。そしてさも今思い出したかのように、顔だけで振り向く。

「善意は黙って受け取るのが人との上手な付き合い方だ。覚えとけよ、ガキ」

 言うだけ言って、はさっさと家の外へと出る。その際、淡々とした口調で少年にとっとと出て案内しろと促す事も忘れない。
 鮮やかな笑みが浮かべられた気配だけが残る中、少年は床に座り込んだまま握った拳を震わせた。

「あんたの方がオレより年下だろうが……!」

――聖闘士ってヤツは……!

 先程心の中で何度も繰り返した言葉を、その何倍もの感情を込めてやっぱり心の中でシャウトし、己の頭を殴りつけてくれた冊子をわしっと引っつかむ。そしてそれを床に叩きつけようとして。

「……」

 できなかった。
 頭の中に彼の母が頭に角を生やした姿が思い浮かんだからではない。多分。
 少年はすごすごと冊子を隣室へと戻し――これもまた保管庫にあった日記だ――悔し涙をのみながらも、彼女の後を追うのだった。