白薔薇の焦燥



 双魚宮に住まう聖闘士はその生涯を毒をもつ魔宮薔薇と共にする。必然的に毒への耐性が求められ、魚座の聖闘士は幼い頃から少量ずつ毒を摂取して耐毒体質を作っていくのだ。
 聖闘士なんてやっていれば危険は山積み、悲鳴を上げたくなるほどやってくる。どれだけ嫌だと言っても。
 故には少しでもその危険を少なくするため魚座の黄金聖闘士に師事し、後からやって来た弟子仲間と一緒に耐毒の修行も受けている。
 その事前に、毒の危険性について師や従者からよく言い聞かされているので、勝手に手を出そうと思ったり、あらゆる毒物や解毒剤が管理されている棚に近づこうとは思わない。
 それはフーガもアルバフィカも同じだ。
 ……同じ、はずだった。

「……?」

 何か、高く細い音が聞こえた気がして、は居住区の方を振り返る。
 彼女よりも居住区から近い場所でつき過ぎた薔薇の蕾を摘んでいたフーガが、同じように手を止めてじっと居住区を見据えた。

「今の音、何だ……?」
「ビンか何かが割れたような音だったな」

 顔を見合わせると同時に、嫌な予感がぞわりと背筋を撫でた。
 薔薇とハサミをその場に放り出し、二人は戸を蹴破る勢いで宮の中に入る。今宮の中にはアルバフィカが一人でいるはずだった。
 肌に馴染んだ優しい小宇宙を求めて意識を研ぎ澄まし、宮内にざっと走らせる。
 当たって欲しくはなかったが、案の定その期待を裏切って、求めていた存在を一番嫌な場所――毒物の保管庫――で見つけて、はそちらへ、フーガは師、もしくは従者を呼ぶために正反対の方向へと駆けた。

「アルバフィカ!」

 候補生では重い扉を小宇宙を燃やして開け放つ。
 床に散らばった浅葱色に一瞬だけ息を呑み、すぐに駆け寄って抱き起こした。
 視界の端にあるビンの破片と飛び散った液体に鋭く舌を打ち、蒼白に染まった頬を二、三度打った。
 低いうめき声を上げて、少年はまぶたを押し上げる。
 完全に意識を失っているわけではないが、はっきりしているわけでは無さそうだと、焦点の合っていないぼんやりとした花浅葱に思う。

「吐かせるぞ」

 良いながら口元に指を持っていったに、アルバフィカは薄く唇を開く事で応える。
 その中には情け容赦なく指を突っ込み、喉の奥を突いた。




 大事にならなくて良かった。
 師や従者が何度も繰り返していた言葉を心の中で零し、はふっと息を吐いた。
 あの後、アルバフィカが胃の中身を全て出し切るのと同時に、アフロディーテとロゼがフーガに連れられて到着した。もっともフーガは何故か師の小脇に抱えられていたのだが。
 アフロディーテはアルバフィカと同じくらいに顔を蒼白く染め、服の裾が汚れるのも構わず弟子達に駆け寄ると、床に散ったビンと毒物を見て即座に解毒剤を取り出して彼に飲ませた。
 顔色こそ悪いが、アルバフィカに毒への耐性があること、そして毒物に即効性がなく吸収の遅い種類だった等という要因が重なり、幸いな事に命に別状はないらしい。
 ベッドに伏すアルバフィカに一人付き添うは、手持ち無沙汰にシーツに散る浅葱色の髪を弄りながら、彼の目覚めを待つ。
 柔らかく癖のある髪の毛を指先に巻きつけたり離したりを繰り返していると、長いまつ毛が細かく震え、花浅葱の瞳が覗いた。
 天井を彷徨っていた瞳が、少女に向けられる。

「目が覚めたか」
……」
「毒を飲んで倒れたんだ。覚えてるか?」
「うん」
「何であんなことしたんだ?」

 声を荒げるでも問い詰めるでもなく、幼い子供を宥めるかのような口調に、てっきり頭から叱られると思い込んでいたアルバフィカはきょとんと瞬き、急に自分がしでかした事が恥ずかしく思えてもぞもぞとシーツの中へともぐっていく。
 シーツの隙間から浅葱色の髪をはみ出しながら白い芋虫と化した少年に、は小さく息を吐きベッドにひじをついた。
 嘆息の音を聞き取ったアルバフィカは、それにびくりと肩を揺らす。

「アルバフィカ」
「……とフーガが」
「うん」
「どんどん強くなっていくのに僕は弱いままのような気がして」
「うん」
「それで少し、焦った」

 もごもごと、シーツの奥で小さく呟かれる言葉をしっかりと拾い、はただそうか、と返す。その、劣等感とでもいうべき感情はわからないでもなかった。
 は女だ。男と比べると、どうしても純粋な力の面では劣ってしまう。身体の構造上仕方のないことだと割り切ってはいるものの、やはりどこかで劣等感を覚えていた。だかそこで終わってしまうのは悔しすぎるので、今現在、長所を伸ばすために鋭意努力中だが。
 アルバフィカも耐毒体質をより強化しようとしたのだろうが、それにしてもとった手段が悪すぎる。
 本人もそこのところはわかっているようなので一方的に詰るつもりはないが、少しぐらいならば言葉に出しても許されるだろう。

「もうやるな。心臓が止まるかと思ったぞ」
「……うん、ごめん」
「師匠とロゼにも謝っとけよ。自分が棚の鍵をかけ忘れた所為だって滅茶苦茶落ち込んでたから。あと、フーガも心配してた」
「うん。……
「ん?」
「ごめんね。それと、ありがとう」
「ああ」

 そっとシーツから不安に揺れる目だけを覗かせるアルバフィカに、は仕方がないというような笑みを浮かべた。