火事場(?)の馬鹿力
は怒っていた。
これ以上ないくらい怒っていた。
浮かべようとされている笑みは口元が引きつり震えており、額にはぶっとい青筋がくっきりと浮き出ている。
硬質な紫紺の目は冷たく据わっており、黄金の矢を握り締めた拳は力の入れすぎで白くなりぶるぶると震えていた。
全身から憤怒のオーラを撒き散らすに恐れをなし、いつもはうざいくらい構ってくる師もが大事だと言って憚らない同門の弟子二人も、遠巻きにを見守るだけだ。
一度大きく深呼吸をしたは身体に篭っていた余分な力を抜き、くるりと師を振り返って笑みを浮かべた。
「師匠、ちょっと人馬宮まで行ってきます」
「ああ、うん。気をつけて」
目が全く笑っていない一番弟子を、引きつった笑みで師匠は送り出す。
普段からあまり怒るという事をしないため、その恐ろしさといったら……。思わず師の服の裾をひしと握り締め縋りついてしまったフーガとアルバフィカは、そっと視線を合わせた。
「……大丈夫かな、射手座の聖衣」
「……いくらでも聖衣を破壊したりはしねぇだろ、多分」
「黄金聖衣は聖衣の中でも最強の硬度を誇るんだ。の力じゃそう簡単には壊れないよ」
自身ではなく聖衣の方を心配する弟子達に、アフロディーテは苦笑を浮かべながら二人の頭を撫でる。
しかしアルバフィカは神妙な顔を崩さず、フーガは複雑な表情を浮かべて師を見上げた。
「だって師匠」
「僕達さっきが持ってた射手座の矢にヒビが入る音聞きましたよ」
「僅かに亀裂も見えたんですけど……」
これでもまだ保障できるのか。
そう雄弁に語る二対の瞳に、流石のアフロディーテも表情を凍らせ言葉をなくした。
今日という今日は許さん。
静かに怒りを燃やしながら、は人馬宮の扉を開けた。宮が主の小宇宙に共鳴し、涼やかな音を立てる。
それを意識の遠いところで聞きながら、ただひたすらに射手座の聖衣だけを目指す。
そして黄金の弓引く人馬を前に、口角を吊り上げるだけの冷え切った笑みを浮かべた。淡く光を発する聖衣に小宇宙を同調させる。
「射手座……?」
優しくゆっくりとつむがれた言葉。けれどそれには全く温度というものが無かった。むしろ氷点下と言っていい。
久々に主と共鳴し、歓喜をその音で表現していた射手座の聖衣は、己を呼ぶその声に底知れぬ怒りを感じ取り、共鳴音を小さく寂しげなものに変えた。
床石を削って後退する聖衣。その足元に、は手にしていた矢を叩き込んだ。
床に三分の一ほどを埋めた矢は、が握っていたところを中心に亀裂が入っている。
最強の硬度を誇る聖衣と同じ材質で製作されているにもかかわらず、だ。ぞっとした。
「いつもいつもいつも……そりゃ心配して守ってくれるのはありがたいし、それがお前の役目でもあるが……限度ってものを知れ」
体術の訓練で負けそうになれば矢が飛び込み、PKの訓練での数倍はある岩を浮かしていればそれを砕き、構われすぎて疲れたと思っていれば構っていた相手すれすれに矢が打ち込まれ、あげくに今日は熱い紅茶を口にしようとしていたところに矢が飛んできて、のお気に入りのティーカップを一客粉々にしてしまった。
射手座の聖衣にとっては、あまり顧みてくれない主を健気にも気にかけ守っているつもりであったのだろうが、にとっては邪魔以外の何物でもなかった。
ここ数日そういう事の繰り返しで相当ストレスが溜まっていたのだが、ティーカップが割られた事によりそれが一気に爆発したのだ。
まさに絶対零度の笑みと声でかけられる脅しに、聖衣は控えめに肯定の意を返した。
人間であればガタブル震えていたであろう聖衣の返答に、未来の主は鷹揚に頷いて見せた。
後日、白羊宮にて。
「……ねぇ、この矢どうしたの?」
「が握りつぶしたんだ」
「は……? ちょっと、冗談言わないでくれない」
「本当だって。何ならうちの子達に聞いてみるかい?」
「……一応これ強度最高って事になってるんだけど」
「だよねぇ……」
あの小さな身体のどこにこんな力があるのだろう。
少女の新たな一面に顔を引きつらせながら、羊と魚はどこか違う方向へ思考を逃がしたのだった。
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