トラウマ


 一歩進む。
 一歩下がる。
 二歩近づく。
 二歩遠のく。
 いくら歩を進めようと、変わりの無い二人の距離はいたちごっことしか言いようが無く、フーガは少しばかりショックを受けたような顔をして小さく息をついた。

「本当にダメなんだな」
「だからそう言ってるじゃないか!」

 心底残念そうなフーガに、アルバフィカは余裕の無さも露に怒鳴り、身を翻しての後ろに隠れ、ぴたりと身体を寄せた。
 その顔は僅かに青ざめ、引きつっている。
 は触れた手がいやな汗にじっとりと濡れている事に気付いたものの、何も言わずにおいた。
 フーガとアルバフィカの間に置かれる形となった少女の顔も、仮面に隠れて見えはしないが、お世辞にも穏やかとは言い難い。
 それにフーガとの距離も充分にとられている。
 フーガは唇をとがらせて座り込み、手に持ったものを膝の上に置いて抱え込んだ。

「ちぇー、面白いと思うのにな」
「それはフーガがおかしい」

 は深々と息をついた。
 しかしながら、アルバフィカの気持ちは嫌というほど良くわかる。
 わかりたくなくても、わからざるを得ない。

「何でそんなにダメな訳?」
「出遭い……というか、第一印象が最悪だったからだ」

 その場に居合わせた、というか、アルバフィカがこうなった状況を作り出した一端とも言えるは遠い目をして答える。
 アルバフィカもの背に張り付いたまま、首を縦に強く振った。
 フーガにとっては多大な恩があるだけに、複雑な心境である。

「俺の為にしてくれた事だってのに酷いよなー、双子座」

 ふてくされた顔で抱え込んだもの――双子座の聖衣の頭部に語りかける。
 必死でそれを見ないようにしているアルバフィカと、己の聖衣の頭部だけを持ちぶつくさと不満を漏らすフーガとを交互に見て、は本日何度目かのため息を吐いた。


 場所は双児宮。
 事の発端はフーガが己の聖衣を見に行きたいと言い出したことによる。
 渋ると「双子座の聖衣だけは……!」と嫌がるアルバフィカを引きずり、強引に双児宮の聖衣が収められている場所に連れてきて、いつに無く抵抗するアルバフィカに理由を聞いたフーガが、それを確かめるために取った行動が、先ほどのいたちごっこである。
 双子座発見に至る際、とアルバフィカが射手座の矢に導かれた先で見た『涙を流す双子座のヘッドパーツ』の図は、かーなーり印象が強く、数年たった今でもあの不気味さを忘れる事ができないでいた。
 はそれが粉々にしてしまいたいほどに苦手だし、アルバフィカに至っては立派にトラウマだ。
 ヘッドパーツだけであるが。
 それも仕方があるまい、とは僅かに視線を双子座のヘッドパーツからそらしながら思う。
 幼い頃の経験と言うものは、後の人生に多大に響くのだから。
 こんな様子でこれから先大丈夫だろうか、と小動物よろしくぴるぴる震えているアルバフィカを背中で感じながら考え、数秒と立たぬうちにその思考を放棄した。
 根性はあるのだから、いずれは自分でどうにかするだろう。多分。

「フーガ、目的は達成したんだから、そろそろ元に戻したらどうだ、その生首」
「生首じゃなくてヘッドパーツだって」

 文句を言いつつも、フーガはそれを胴体の部分へと戻しに行く。
 金色の頭部が見えなくなると、アルバフィカの身体に篭っていた余計な力が抜けた。
 じっと己を見るに気付いたアルバフィカは、彼女を盾にした事が後ろめたいのか、視線を泳がせる。

「……魚座を継ぐ時までには何とかするから」
「そうしてくれ。でも無理はするなよ」
「うん」

 吐息交じりの台詞に、こわばった顔をやっとこさ動かして笑みを浮かべて見せた。