Call my name!


 くだらねえ。
 の感想はそれに尽きる。それはの両隣を陣取ったフーガとアルバフィカも同じらしく、乾いた笑い声を上げた後に嘆息したり、生温い笑みを浮かべていたり。
 もう既に色々と諦めているはがしがしと頭をかき、無駄な気をもんでいるロゼの服の裾を引っ張った。

「ロゼ」
「……人馬宮様! 次代様に双児宮様も……お帰りなさいませ」
「ただいま、ロゼ」
「ただいまー」
「ただいま。で、あれは何だ?」

 尋ねるのもバカらしい気がしながらも、赤ん坊用の椅子(の頼みにより牡羊座が製作)に座っているルヴィオラを間に挟んで対峙する師と蠍座を指差す。
 仮面で隠れて表情はわからずとも、器用な事に雰囲気だけで呆れ返った様子を表すに感心しながら、こうなった経緯を説明した。
 その本当に馬鹿馬鹿しい内容に頭痛を覚え、は言葉も無く額を押さえる。

「つまり、そろそろ言葉を覚えて話し出す頃合だからってスーラ様が押し掛けてきて」
「赤ん坊に慣れてきた師匠が一緒になって言葉を教え込もーとして」
「どっちの名前を先に呼ぶかで言い合いになって今に至る、と」
「それで千日戦争勃発寸前ってか、馬鹿馬鹿しい」

 一生やってろ。とはくるりと美しい回れ右を披露し、その場からトンズラを決め込もうとする。しかし涙を一杯にためた双魚宮従者に縋りつかれ、敢え無く失敗に終わった。

「あああああ、行かないでください人馬宮様ぁ〜!」
「チィッ!!」

 あからさまに舌を打つ。その気持ちが嫌というほど良く解るフーガとアルバフィカは、それでも苦笑を浮かべて彼女の肩を軽く叩いた。
 は仮面の下で盛大に顔をしかめる。

「とりあえずあの二人は放っておいて、ルヴィオラだけでも回収しようぜ」
「さすがにあの場所は危ないしね」

 ちらりと一瞥する先には、密度の濃厚な小宇宙。その中心から少し外れたところにいるルヴィオラは、あのまま技が放たれたら確かに危ない。
 あまりにも馬鹿馬鹿しい理由で命の危機に直面している本人は、暢気な事に椅子に座ったままの姿勢でぐーすか寝ているが。

「……わかった」

 ルヴィオラは助けよう。いくらでも、今にも下らない喧嘩のとばっちりを食らって儚くなりそうな赤子を見捨てるほど鬼畜ではない。しかし、師と蠍座には極力関わりたくは無かった。
 全員が全員、気配を消しつつ二人の背後に回りこみ、幸せな夢を貪っているらしい小さな次代蠍座をそっと救い出した。
 その間にも、「ルヴィオラが最初に呼ぶのはオレの名前!」「いいや、私だ!」というやり取りが続き、ビシバシと殺気の混ざった小宇宙が飛び交っている。
 下らん事に小宇宙を使うなと本来ならば止めに入るべきなのであろうが、あまりにも情けなさ過ぎてそんな気も起きなかった。というか、聖闘士同士の私闘は禁止だと言う事を忘れているだろう、絶対。それでも黄金聖闘士かと胸中で扱き下ろす。
 小さい――それでも大分成長した体を抱え上げると、ラズベリーレッドの瞳がパチリと開いてを映した。するとすぐに泣き出さんばかりに歪んだ赤ん坊の顔に、フーガがの顔に仮面が付けっぱなしになってことに気付き、慌ててはがす。
 露になった紫紺の瞳と向き合い、不思議そうに瞬いていたルヴィオラは、無邪気なばかりの笑みを満面に咲かせた。
 つられるようにしても笑みを浮かべると、赤ん坊はさらに機嫌よく声を上げた。
 小さな手が、の頬に伸ばされる。
 そして――大人たちにとっては――なんとも無慈悲な一言をつむいだ。

「ママ!」

 ピシリ、と空間が音を立てて凍りつく。
 は笑顔の裏で、何と厄介なと頭を抱えながらも、それが妥当だろうと頷く。喃語の次にいきなりスーラだのアフロディーテだの呼べるはずも無いのだから。
 そのスーラとアフロディーテはというと、油を差し忘れたブリキのようなぎこちなさで、を見て繰り返しママと呼ぶルヴィオラを見やり、力尽きたように石畳の上に崩れ落ちた。そのまま身を震わせ、彼らは失意に打ちひしがれる。

「ママね、ママ……世間一般では確かにその辺りだけど……」
「酷いよルヴィオラ〜……せめてじゃなくオレの顔見て呼んでくれたら良かったのに〜……」

 それは無理だろう。
 魚座の弟子達は表情だけで雄弁にそう語る。
 しかし即座に立ち直った男二人はそれを見なかったことにして、再度ルヴィオラに挑もうとした。
 が。

「パーパ!」

 今度はアルバフィカの方への腕の中から身を乗り出し、たしっと彼の胸に手をつく。
 ニコニコと笑うルヴィオラに笑い返しながらも、アルバフィカの脳内は疑問符で一杯だった。がママと呼ばれるのはわかる気がしないでもないが、何故自分がパパ。全く持って嬉しくない事に、聖域関係外の場所に行けば、必ず最初は女の子と間違われていると言うのに。
 思考を明日の方向へと飛ばしている間に周囲をきょろきょろと見回していたルヴィオラは、今度はフーガの方へと手を伸ばし。

「フー!」

 呼んだ。
 それも名前で。
 動揺も無く、むしろ喜々として相手をしているフーガの様子に、このからくりを察したとアルバフィカは視線を交わし、深々と息をついた。
 今現在石像と化し、風化してしまいそうになっている師と蠍座よりも先に、フーガはルヴィオラに呼び方を教え込んでいたらしい。
 世話をこちらにまかせっきりにしているから、こんなことが起こるのだ。
 自業自得な大人たちを無視する方向で意見を纏めた三人は、後をやっとこさ平常心を取り戻したロゼに任せ、さっさと部屋に引っ込みルヴィオラの相手に興じるのであった。