櫛にながるる黒髪の
いつの間にやら随分と長くなった。
指先で顔の横に垂れ下がる濡羽色の髪をつまみあげ、心の中で感想を漏らした。
聖域に連れてこられて時は顎の辺りまでしかなかった髪も、枝毛が出ないようにとこまめに毛先を切りそろえながら伸ばされたために、今では肩甲骨に届くまでになっていた。
こんなに丁寧に、しかもこれほど伸ばしたのは、過去を振り返ってもコレが初めてだ。今までは身体を動かすのにも風呂に入るのにも邪魔だと、伸びればバッサリ切っていた。
は思った。そろそろ手入れも大変だし、戦闘訓練にも邪魔にしかならないから切ってしまおうと。
そしてこのの決意が、一騒動起こすのであった。
「じ、人馬宮様、今何と仰られました……?」
絶望的、といった表情のロゼが、顔を歪めたままでに聞き返した。そのあまりにも大げさな双魚宮従者に若干引きながらも、は言葉を重ねる。
「だから、髪を切ってほしいんだけど……」
「枝毛でも見つかりましたか? どこか痛めでもしたのでしょうか……手入れの仕方を変えなければ……」
「いや、そうじゃなくてバ……」
「薔薇のエキスの方がよろしいのですか? それならこの間双魚宮様が新しい薔薇で作っていらしたものが」
「ロゼ、そうじゃなくて、長いのは邪魔だからバッサリ切ってほしいんだってば!」
くるりと踵を返して師が作成した香油を取りに行こうとした従者の足に縋って、声を張り上げる。
目に入れても痛くないほど可愛く思っている主の一番弟子の主張に、ロゼはピタリと動きを止め、わなわなと身を震わせ。
「人馬宮様に悪い虫が……いつの間に――!」
叫んだ。
「いや、違うから!」
どう飛躍すればそんなところへ話が飛ぶのだろうか、とわかっていながらも意識的に無視し反論するも、興奮しているロゼには届かない。
そうこうしている内に、別の部屋にいたはずの師と弟弟子達が物凄い勢いで駆けつけ、の肩をがっちりと掴み身柄を確保しながら、ロゼを問い詰めた。
誰もの話を聞こうとはしない。これにはさすがのもプチッと切れる。
「話を聞けっつってんだろーが!!」
怒りで威力倍増のPKが炸裂した。
体のどこかに擦り傷やたんこぶ、アザを作りながらの言葉に耳を傾けた彼らは、の髪を切りたいという主張にほとんど全員がロゼと同じような反応を返した。
特に師はこの世の終わりとでも言い出しそうな雰囲気である。
「ダメだダメだダメだ! 絶対にダメだ! 私は断固反対する!!」
「僕も! 、絶対に切っちゃダメだからね!」
「俺も反対。せっかく綺麗なんだから伸ばせばいいじゃん」
うんうんと男どもがフーガの意見に同意する。
対するは、何故に髪の一つごときでここまで反対されねばならんのかと、甚だ不服だった。
「別にいいじゃねーか、切っても。手入れも大変だし、戦闘中に掴まれでもしたら不利だし。何より邪魔だ」
ぶっちゃけ一番最後のが本音である。しかし彼らはに髪を切らせる気は一切無いらしく、ことごとくの言葉を否定した。
「手入れならばこのロゼがいたします。人馬宮様が自宮に移られれば、その宮の従者が引き継ぎます」
「戦闘中に掴まれたら、掴んだ奴の手の方をぶった切れ。いいか、絶対髪は切るなよ」
なんて物騒な。思いつつも、フーガの常ならぬ真剣さに押され、言葉も無く顔を引きつらせる。
「邪魔なら私が纏めてあげるから。ね、」
アフロディーテはまるで幼子を宥めるかのように柔らかな、けれども有無を言わせぬ迫力の笑みと言葉でずいっとに迫る。
視界一杯に広がる師の絶世の美貌に、うわ鼻血出そうとどこかずれた感想を抱きつつ視線をそらすと、その先でまるで捨て猫のような花浅葱にぶち当たった。
何よりもそれに弱いと最近自覚しつつあるは内心ぎくりとする。
「」
「何……」
「髪、切らないよね」
「……」
「……」
「……」
「……」
両者の間に何だか変な緊張と沈黙が走る。
視線だけは互いにそらせず、若干の方が不利であった。
ややあって、根負けしたが深々とため息をついて、明後日の方へと目線を投げた。
「わかった。切らなきゃいいんだろ。そのかわり私は何もしねーからな」
何だかとっても投げやりである。
それでも切らないとに宣言させた男達は、満足そうに笑みを浮かべた。
これ以降、の髪の手入れは断髪反対組の手に全面的に委ねられる事となる。
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