教皇猊下の華麗なる野望〜次期教皇育成計画その漆〜


 教皇はご満悦だった。
 彼が次期教皇として定めた幼女――射手座の候補生は、彼が求めた以上のものを返してくる。時には教皇を驚かせるほどに。
 それにかの少女が「掃除」という名の憂さ晴らしで次々と腹に黒いものを抱える性質の悪い神官たちを自主退職に追い込んでくれるため、最近の執務室は以前と比べて明るさが増し、空気が綺麗になったように思える。
 あまり綺麗過ぎると、汚い部分は更に暗く深いところへ逃げて行ってしまうのだが、そこら辺もちゃんと解っているのか、彼女の掃除のさじ加減は絶妙だった。
 本当に頼もしい限りである。
 このところ、本当に有能な神官が執務室勤務者の中にも増え始め、教皇が幼子達を傍に置く理由に気付く聡明な者もいた。この現状に、時折腹の立つ事もあるものの、教皇のご機嫌は右肩上がりである。
 そんなある日の事、教皇はふと気付いた。
 教皇になるためには、人望も必要不可欠であることに。
 いくら能力があったとしても、組織を纏めるには、それも女神の代理としてこの特殊な場所を治めるには圧倒的なカリスマと人格がいる。
 黄金聖闘士であるものならば、一定の基準はクリアしてはいるものの、人望となると難しい。
 神官たちの方は問題無さそう――何せ今ですらの掌の上だ――なのだが、聖闘士――それも黄金となると、教皇が現役であった時代を振り返っても、個性が強く自己主張の激しい者ばかりだった。
 正直難しいだろう。それは今の黄金の連中を見ても言える事で、教皇はどうしたものかと頭を抱えていた。しかも今の黄金たちはを聖域に来た頃から知っているのだ。
 が将来強気に出る事が出来ないだろう事は、教皇も経験上十二分にわかっていた。いや、案外あの少女はあっさりとやってしまうかもしれないが。
 そこで教皇は思ったのだ。
 聖域中の人間に女神が絶対だと刷り込ませるのと同様に、将来の黄金たちにの事も刷り込んでしまえば良いのだと。
 教皇として、女神に仕える人間としてどうなのかと問いかけたくなるような思考回路だが、本人は至って本気だった。
 絶対はたった一つしかないから絶対なのであって、滅多な事では並立しないのだが、この時教皇はその事実に欠片たりとも気付いていなかったのである。
 これは後の世にもいえることではあるが、蟹座は肝心なところでけっこう抜けていた。
 そんなこんなで教皇はさっそく行動に移った。おあつらえ向きに双子座の聖衣が泣き――これは本当に興味深く、ランティスではないが教皇も是非とも研究してみたかった――己の主の危機(一歩手前)を知らせてきた事であったし。
 そして彼女は教皇の期待通り双子座を見つけ出し、聖域に連れ帰ってきた。しかも聖闘士となる事を快諾し、注意しなければ判り辛いが、とアルバフィカには従順だ。
 この結果に教皇は大いに満足した。
 その半年ほど後に、まだ赤ん坊だが両親が死んでしまったが為に引き取る事になった蠍座の後継者がやって来た。
 絶対に育てるといって聞かない現蠍座に預けるのは多少不安が残ったが、何かあれば少々ぶっ飛んだ思考回路で双魚宮に飛び込むだろうと放置してみれば、本当にそうなり、赤ん坊も――主に達の手で――ちゃんと育てられているようだ。
 これならば将来聖闘士となったとしても大丈夫だろう。教皇は己の判断を自画自賛した。
 そしてある日散歩途中に件の双子座を見つけ、教皇は声をかけた。

「フーガ」
「教皇!」

 型を舞うようになぞっていたフーガが跪こうとするが、それを制し、教皇は口元に笑みを浮かべた。

「今日は一人か、珍しいな」
「はい。とアルバフィカが、ルヴィオラの世話にかかりきりで疲れきって寝てしまったので」
「なるほど……しかし熱心な事だ」
「こうでもしないと追いつけないんで」

 ニカリと明るいばかりの笑みを浮かべる。教皇は眩しげに目を細めた。
 彼が見てきた双子座は、大体が影のある大人しい気質の者であり、このような者はある意味異質だった。しかし良い傾向である。彼がより年長であることもまたそうだ。

「良いことだ。お前達の代は女神も降臨なされる。そのような心持ちの者がいれば女神も心強かろう」

 しみじみと頷く教皇。
 それに輝かんばかりの笑みでもって肯定するだろうと思われたフーガは、しかし「女神……」と呟ききょとんと目を見開くだけであった。

「女神……そっか、聖闘士って女神の為に戦わなきゃいけないんだっけ、そういえば……」

 口元に手を当て、口の中で言葉を転がす。
 すっかり忘れてたと言わんばかりの態度に、しっかりばっちり少年の呟きを耳で拾っていた教皇は音を立てて固まり、瞬間解凍したあとに声をかけた。

「フーガ……?」
「あ……イエ、何デモナイデスヨ、教皇」

 えへ、と今度浮かべられた笑みは、明らかに愛想笑い、笑って誤魔化せの代物である。
 さらにつっこうもうと教皇は一歩足を踏み出したのだが、その笑みを貼り付けたままのフーガは、くるりと踵を返し見事な逃亡をかました。

「じゃ俺はこれでそろそろルヴィオラととアルバフィカが目を覚ます頃合なんでー!」

 ドップラー効果がついた声があっという間に遠ざかっていく。
 教皇の手は宙に浮いたまま、行方を失った。

「これはもしかしてもしかせずとも……」

 失敗した……?
 呆然と双子座が去った方向を眺めながら、顔を引きつらせる。
 そこで初めて、女神への忠誠をまず最初に叩き込むべきであったことに思い至った。
 しかしながら、もう既に手遅れである事にも気付いていた。絶対は覆らぬから絶対なのである。
 どうしたものか。

「……」

 沈黙と共に考えて考えて考えて。

「まぁどうにでもなろう」

 思考を放棄した。
 いや、正確には丸投げしたと言った方が良いだろう。誰にって、それはもちろん次期教皇として教育中の少女に。
 元より、この聖域は女神への信仰なくしては成り立たないのである。
 例え少女自身に女神への忠誠や崇拝といった念はなくとも、その事は良く理解しているだろう。
 はそれを表面化させて、己を不利な状況に追い込むような愚鈍さは持ち合わせていない。
 教皇として立ったときの事も考え、彼女自身がどうにかするに違いない。
 それは希望的観測であり、の性格上確信できる事でもあった。
 そんな訳で。
 聖闘士としてそれはどうなのと突っ込みたくなるような結論付けでその問題を放り出し、教皇は再び散歩を開始する。
 そして知っていながらも沈黙を守る事で、の警戒網に見事に引っかかっている事など知る由も無く。
 教皇はこれ以降も、こりもせず黄金聖闘士に大好き人間を増やすため、努力するのであった。