茜色の温もり


「行こうか!」
「何処へ」

 満面の笑みで主語も目的語もふっとばし動詞だけで提案した師に、弟子は何処までもクールに切りかえした。




 懐かしい。
 そう思わずにはいられなかった。それほど長い間逗留していたわけではないが、今現在ダメダメになってきている美貌の師と出会い、聖域に行く事になった場所なだけに、インパクトだけはばっちりだった。
 師が行こうと言って繰り出した所は、が捨てられた後、師に拾われ保護された村である。
 その目的が任務なのか何なのかは知らされることは無かったが、危険は全くと言っていいほど無いようで――そうでなければまだ未熟な弟子を同伴する事に許可は下りなかっただろう――教皇もあっさりと達が共に行く事を了承した。
 あれから数年は経つというのに、の面倒を見てくれていた女性――バーバラは彼女の事を覚えていたらしく、からっとした笑顔で魚座師弟を迎えてくれた。

「おやまぁ、お嬢ちゃん、大きくなって」
「お久しぶりです、おばさん」

 わしゃわしゃと髪をかき乱す手にされるがままになりながら、少しの苦笑と共には返す。
 その背後で、フーガとアルバフィカは首を傾げて顔を見合わせた。いったいどういう知り合いなのだろうか。そろって師を見上げると、バーバラとのやり取りを温かく見守っていた師は弟子達の無言の問いかけに対し、有無を言わさぬ迫力を持った笑みで応えた。
 言わんとするところは、後で、という事なのだろう、おそらく。
 血の気を引かせながらフーガとアルバフィカはそれぞれに頷き、何だか背後から妙な威圧感を覚えたが怪訝な顔をして振り向いた。

「どうかしたのか?」
「何でもない」

 異口同音に応える二人の背後には、妙に笑顔な美貌の師。
 に対して過保護としか言いようの無いこの師が関わっているのならば、気にするだけ無駄だと結論付け、は正面を向いた。
 その光景を一部始終見ていたバーバラは、たまらず噴出す。

「あっはっは! 大事にされてるみたいで何よりじゃないか、よかったよかった」
「限度と言うものを知ってほしい気もしますが」
「心配されている内が華だよ、次期射手座様」
「知ってたんですか」
「ほんの数日でも世話をした子だからね」

 気になっていたのだ、とバーバラは言う。
 その母性を持った眼差しと、触れてくる掌のぬくもりが遠い母を思い出させ、少しばかり泣きたいような、甘えたい盛りの子供のような、そんな不安定な気持ちになった。
 肉体年齢に引きずられているのだろうか。
 考えても詮無い思考をめぐらせながら、は珍しくも外見相応の笑みをバーバラに向け、心からの礼を口にした。
 女性はまるで実の娘を見るような気持ちで目を細めて頷き、少女の背中をその大きな掌でぽんと叩いた。

「さぁさ、中にお入んなさいな。こんな所じゃなくてね。お腹も空いただろう」
「はい、お邪魔します」

 女二人が仲良く家の中に入っていく様子を置いてきぼりにされた男三人は複雑な心境と共に見送り、視線を交わした。
 彼女達の間には男が入り込めない何かが存在しており、面白くないやら、の年相応な顔を見ることができて安心したやらで、内心は玩具箱をひっくり返したかのようにぐっちゃぐちゃだ。
 特にアルバフィカは、愛らしい顔を歪めて足元をじっと見つめている。
 どうしようもない不快感に動く事も忘れていると、戸口からがひょっこり顔を出した。

「何やってんですか、三人とも。とっとと中に入ってください」
「わかった」
「おー、メシー」

 慇懃無礼な促しにいつもの状態に戻った事を確認したアフロディーテはとろけるような笑みと共に頷き、フーガは駆け出す。
 一人動かないアルバフィカに気付いたアフロディーテは、彼の背をそっと押して、家の中へと入っていった。





 その日の夕刻。
 バーバラとが夕飯の支度をしている楽しそうな雰囲気を感じながら、フーガは興味に鬱金の瞳を爛々と輝かせながら、アフロディーテの服の裾を引っ張った。

「ん、何?」
「師匠、ここってとどんな関係があるんだ?」

 声を潜められての問いに、アフロディーテは昼間のことを思い出し、ああそれかと頷いた。
 の小宇宙をじっと探っていたアルバフィカも、己の師を見上げる。
 の事ならば欠片たりとも、といった感じの二人にアフロディーテは苦笑し、口を開いた。

「バーバラは聖域の協力者でね、私がを見つけたとき、ここに運び込ませてもらったんだ。それで彼女に世話になって……あの時はまだ三歳だったから、覚えてるかどうかはわからなかったけど」
「見つけて運び込んだって……」

 目を丸くする弟子二人に、アフロディーテは笑みを浮かべ、当時のことを思い出してその柳眉を歪めた。苦々しい表情を浮かべたまま、その時の事をそれはもういらんくらいの感情を込めて切々と語る。
 興味津々に師の話に耳を傾けていたフーガとアルバフィカは、だんだんとその顔を曇らせ、終いにはこの上ない怒りをその両眼にたぎらせ、音を立てて椅子から立ち上がった。
 そして師が止める間もなく、家の中から飛び出していく。

「アルバフィカ、フーガ!」

 突然二人の小宇宙が荒れ、この場所を離れたことに驚き顔を出したが声を上げ、師をちらりと見た後に彼らの後を追う。
 己のやろうとしていた事を一番弟子にすんでの所で奪われた師は、中腰の姿勢で少女を見送り、吸っていた息を吐き出して椅子に座りなおした。
 見習いとはいえ、聖闘士の力で空けられた為に立て付けの悪くなった内開きの扉が、キィッと鳴る。

「おやまぁ……そこの扉直しといておくれよ、アフロディーテ様」
「ああ、わかってるよ」

 仕方がない、と子供が悪戯を仕掛けた跡を見るかのような顔でそう口にするバーバラに、アフロディーテは少しばかり歪んだ笑みで頷いた。





 二人はそろって木々の合間をぬって疾走していた。本当ならば光に近い速さで走る事ができるのだが、怒りで目の前が赤く染まった二人は、すっかりその事を頭の中から吹っ飛ばしていた。
 おかげで幾分か後に出たも彼らを容易に見つけ、森の中ほどで追いつくことができた。
 そこからは持ち前のスピードを発揮して一気に間合いをつめ、勢いを利用して少年二人の襟首を掴み放り投げる。
 そのままでは立ち並ぶ木にぶつかるかと思われた二人は猫のように身を捻り、しなやかな動作で着地した。
 反射的に構えを取ったフーガとアルバフィカは、自分達を投げ飛ばしたのがだと知ると、目を見開いてすぐに構えをとく。

、どうして……」
「それはこっちの台詞だ。家を飛び出したと思ったらこんな所突っ走りやがって」

 顔をしかめるに少年達は視線を合わせて口を開く事を譲り合い、少女がぴくりと方眉を上げると、アルバフィカが渋々と言った様子で話し出した。

が……その、拾われたときの事を師匠に聞いて……」

 原因はやっぱりあんたか。寸前まで彼らと何やら話しこんでいた麗人を思い出し、は心の中で余計な事を、と詰る。
 苦々しく変わっていく少女の顔に、彼女を大切に思っている二人は悲しい過去を思い出させてしまったのだと思い、胸が潰れるような思いがした。
 は誰よりも早く聖域にいた。アルバフィカにはがそこにいることは当たり前だったし、フーガは彼女がいるからこそ聖域に来て、聖闘士になることを快諾したのだ。
 彼らにとってが傍にいることは当然の事で、小さな頃から親元を離れ聖域にいるという事の意味を考えた事は無かった。
 自分に対する怒りと、彼女を確実に亡き者にするために危険な森に置き去りにした母親に対する怒りとがない交ぜになり、感情の赴くままにあの家を飛び出したのである。
 どう声をかけていいかわからず焦る二人の目の前で、は深々とため息を吐いた。

「で、家を飛び出して、私の生まれた町に行って、どうするつもりだったんだ」
「どうって……」
「考えてなかった、な。衝動的だったから……」

 はまたため息を一つ。そして口角を少しだけ吊り上げた。

「私は私を捨てた親なんざ何とも思っちゃいねーよ。あの日からもうとっくに縁は切れてんだ」
「恨んでもいねーのか?」
「面倒だからな」

 何ともあっさりとした答えだった。アルバフィカはらしいと呟き、フーガと顔を見合わせて笑う。

「んじゃ、落ち着いたところで戻るぞ」
「うん」
「おう」

 すれ違いざまに二人の肩を叩き、草を踏み分け、ツチを踏みしめて、は来た道を戻る。
 背筋がピンと伸び、風を切り、オレンジ色の光が柱となって差し込む森の中を歩む姿は、凛としていて美しい。彼らが足を止めても容赦なく置いて行くだろうその背中に、眩しげに目を細め、フーガとアルバフィカは彼女と肩を並べた。
 そうして森を抜けようとしたところで、は何かに惹かれるように森を、彼女にとっては二つ目の生まれ故郷のある方角を振り返った。
 全く気にならないと言えば嘘だが、恨んではいない。それは本当だ。恨むという行為は、負の感情を抱き続けると言う事は、ひどく体力を必要とし、自らを雁字搦めにする鎖を生産し続ける不毛な行為である。その先には何も有りはしない。に何かを齎す事は無い。
 にとっての親は彼らではなく、もう会うことの出来ない、会いたいとも思えない場所にいる人たちだけだ。
 思い出すのも久しぶりだ、と目を細める。
 黄昏に照らされた少女の横顔は、穏やかにも淡白にも、そしてどこか哀しそうにも見えて、アルバフィカはそっと少女の手を取った。
 フーガは、殊更明るい声を上げる。

、早く行こうぜ」
「……ああ」

 つながれた手をちらりと見て、は彼らの促すままに歩を進める。
 アルバフィカは手を振り払われなかった事に安堵と喜びの笑みを浮かべながらの手を引いて一歩前を歩き、いつもとは逆の立ち位置にくすぐったさを覚えた。
 つないだ手も、彼らからストレートに向けられる感情も、温かく心地好い。
 茜色の光の中で、は密かに満面の笑みを浮かべた。










あとがき
 アフロディーテにヒロインの親の事を聞いたフーガとアルバフィカが切れて暴れる…で、ヒロインに宥められるところ等、ということでこんなんになりましたが、どうでしょう。
 切れる、まではいっても暴れる辺りが消化不良な気が……(汗)
 アルバフィカもフーガも結構穏やかな性質なので、この辺りが秋月の発想力の限界です。
 場面や状況が違ったら、もう少し暴れてくれる(秋月の頭の中で)かもしれませんが、はたして……。

 何はともあれ、リクエストありがとうございました。
 こんなものでよろしければ、受け取っていただければ幸いです。
 それでは。


 秋月しじま