誤解と認識
「つまんないわぁ……」
開いていた本を閉じ、エリアーデは力なく腕を投げ出す。毛先だけ巻かれた桃花色の髪を指に絡め、悩ましげな息をついた。
仲の良い両隣の友人は任務で出かけてしまっているし、一番近い天秤宮に主はいるが、第一宮の主が怖い。何より、今宮を空けるわけにはいかなかった。
この聖闘士の総本山たる聖域に攻め入ってくるものがいるとも思えないが、今現在の最後の砦はエリアーデの宝瓶宮なのだ、腹立たしいことに。
よって、エリアーデは暇を持て余していた。
「何か面白い事無いかしら」
もしくは起こりはしないだろうか。刺激が欲しい。胸の上においていた本をソファの上に放り投げ、再びため息を吐いた。
「……あら?」
気だるそうな雰囲気を吹き飛ばし、がばりと身を起こす。
宝瓶宮よりも遥か下の宮で、馴染んだ友人の小宇宙が高まった。あれは、巨蟹宮の辺りだろうか。
しばらくすると、彼の小宇宙は上に上がり、また止まってを繰り返しながら、この宝瓶宮に向かって――正しくは更にその上の教皇の間が最終的な目的地だろうが――上がってきている。
「帰ってきたのね」
退屈が去っていきそうな予感の到来に、エリアーデはマンダリンオレンジの瞳を期待に輝かせ、いそいそと友人を出迎えに向かった。
顎の下で切りそろえられたさらさらの濡羽色の髪。それに縁取られた肌は、多くの人種が集まるこの聖域でも珍しい象牙色で、丸く柔らかな頬は少しばかりやせて見えてはいるものの、血色は良く薔薇色だった。
年は三歳ほどだろうか、この年頃の子供にしてはしっかりとした知性をスッキリした切れ長の目に宿している。紅葉のような掌はしっかりと友人の首に回され、小首を傾げて幼女はエリアーデを見ていた。
普段ならば間違いなく、噂に聞く東洋の島国にあるという人形のような幼子に黄色い声を上げて友人からその子供を奪取するのだが、今エリアーデはそれどころではなかった。
幼子は別に何の問題も無い。むしろ諸手を挙げて歓迎し可愛がりたいくらいなのだが、その小さな女の子を抱いている人物が問題だった。大問題だった。
宮を離れられない所為で暇を持て余していたエリアーデが待ちに待った中の良い友人である。刺激である。
しかし、こんな大きすぎる刺激を待っていたわけでも欲していたわけでもない。
奈落の底を覗き込んだ罪人が浮かべそうな顔で頬を押さえ、エリアーデは表情だけで驚愕を声に出すまでも無く雄弁に物語った。
友人――アフロディーテの絶世の美貌が、宝瓶宮に辿りつくまでに繰り返してきた嫌な予感に引きつる。
「アフロディーテ……アンタいったいどこから攫ってきたの、その子!?」
「君もか……!」
石畳に崩れ落ち、唸るように声を絞り出す友人。抱かれていた幼子は大人びた生温い笑みを浮かべ、紅葉の掌で彼の頭を撫でている。
「あ、あら……?」
何だか誘拐のそれとは結びつかない両者の雰囲気に、エリアーデは目を丸くして瞬きを繰り返したのだった。
「本当にごめんなさい!」
「いいよ、もう……」
そう言う割には脹れっ面のままである。ぷくっとふくらんだ頬を突いてつぶしたい衝動を抑えながら、エリアーデは掌を合わせて謝り倒していた。
「でも今回の件で皆が私のことをどういう目で見ていたかが良〜く解ったよ」
「あー……」
恨みがましそうな友人から視線だけを逃して、エリアーデは半端な相槌を打つ。手持ち無沙汰に膝の上に抱いている幼子――と言うらしい――の髪を撫でると、更にその目が強くなり、エリアーデはにへらと笑みを浮かべた。
「災難だったわね」
「君に言われたくない」
ごもっとも。
「確かに子供は好きだ。ああ大好きだ、愛してるとも! でもだからって攫いはしないよ、さすがに」
いや、アンタならやりかねないわ。
胸中で盛大に突っ込ませてもらいつつ、エリアーデは懸命にも沈黙を守る。
アフロディーテと子供という組み合わせは、誘拐と言う単語を容易に結び付けてしまう。それほど、教皇を含めた黄金間や十二宮に生きる者にとって、彼の異常なほどの子供好きは有名だった。
それを知らないのは本人だけである。
それがエリアーデの膝の上で大人しくしていたにもわかり、女にしか見えないエリアーデの性別が男だと言う事に対する驚きも忘れ、なんともいえない表情を浮かべた。
その間にも、アフロディーテはぶつくさと文句を並べ立てる。
「まったく、どいつもこいつも……人のことを幼児誘拐犯みたいに。失礼極まりないな、本当にもう。まともに対応してくれたのはランティスだけって、それはちょっと酷くないか……」
それは初耳だ。
しかしまともに対応しているからと言って、彼らを一目見たときに抱いた感想は自分達とそう変わりは無いはずである。
言葉に出さなかっただけで。
一人難を逃れたランティスに、今度青炎との時間を邪魔してやろうと決心する。
人の恋路を邪魔するものは馬に蹴られると言うが、それがどうした。切れたランティスは恐ろしいが、青炎を味方につけさえすれば怖いものは何もない。
まぁ、それもほどほどにしなければ命を預ける大事な聖衣に何をされるかわかったもんではないのだが。
「…にしても、次代ねぇ。ねぇ、どの星座かわかる?」
「さぁ、それは教皇に見てもらわないと何とも」
「ふふ、水瓶座だったらアタシの弟子になるのよね、楽しみだわー」
周囲にハートマークと花を散らしながら、エリアーデはの頬に頬擦りをする。ふくふくのほっぺは肌理が細かくすべすべで、そりゃあもう柔らかかった。
「キャー、ぷにぷに! 本当に水瓶座だったらいいのに……どうしたの、アフロディーテ」
「他の星座だったら、手元に置けないんだった……」
暗雲を漂わせ、美貌の友人は机に突っ伏している。この世の不幸を全部背負ったような、どろどろとした何かが出てきそうな、そんな暗さである。
しかしそんな様子もいつもの事と流して、の頭を撫でた。
「あらあら、気付いてなかったのねぇ……でも魚座じゃなくても、現在空位の黄金なら師事する事もできるわよ」
「どんな確率だよ、それ」
空位が三席に魚座を加え、黄金聖闘士が十二人だから。
「ざっと三分の一ね」
「具体的な数字が聞きたいわけじゃないよ!」
キーッと声を荒げる友人に、エリアーデはころころと声を立てる。
心臓が止まりそうなほどの衝撃はあったものの、鬱陶しく思っていた退屈な時間は吹っ飛んでいき、エリアーデは至極ご満悦に笑みを浮かべた。
あとがき
燈華様、リクエストありがとうございました。
もう一つのリクエストの方ですが、生憎ホリックは購入していても、ツバサの方はマガジンでしか読んでいないのでキャラが上手く掴めておらず、書くことができませんでした。
他者視点、ということで、その時宮に留まっていた黄金聖闘士のうち水瓶座の彼(彼女?)で進めてみましたがどうでしょうか。
少々短くなってしまいましたが、お受け取りいただければ幸いです。
それでは。
秋月しじま
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