開幕のベルはまだいらない
サガの目が覚めた。
女神も教皇も、アイオロスを含め全員が彼の目覚めを喜んだ。もちろん、その知らせを兄から聞いたも。
けれども、本人は。
「何故私が生きているのだ」
絶望を尽くしたかのような表情を浮かべそう口にしたきり、誰に対しても何の言葉にも反応を返す事はなくなってしまった。まるで、等身大の人形のように。
「どうしよう」
「どうするよ」
年中組三人が顔を突っつき合わせて、眉間に皺を寄せる。けれどどうにもそれ以上話が進まず、結局そこを堂々巡り。
いい加減疲れてきた彼らは、大きくため息をついて、椅子の背に身体を預けた。
「多少なー、こんな状況になるんじゃないかって予想はしてたけどなぁ」
「サガだしねぇ。あー、でも本当にどうしたらいいんだろう」
はぁ、と
再び大きな息をつき、彼らは庭先に出した椅子にぼんやりと座るサガに目を向ける。
彼の目の前に広がるのは素晴らしいの一言に尽きる双魚宮の薔薇園だ。しかし、彼の焦点のぼやけた瞳は目の前にあるどんな事象をも、認識してはいない。自分の生を受け入れることに繋がる全てを、彼は全力で拒んでいた。
もっと他の事にその気力を向ければいいのに、というのは、今は海界の海龍として働いている彼の双子の弟の言だ。
「……考えたんだが」
ぼそりと、先程から沈黙を守りながら何やら考え込んでいたシュラが口を開く。
青い髪を風になびかせた後姿に向けていた視線を、二人は彼に集中させた。
「サガを、に預ける事はできないだろうか」
「に?」
「ああ、彼女の所ならばサガの身の危険もないだろうし、腕のいい医師が常駐しているだろう。それに彼女はどちらのサガとも面識がある上に」
「黒い方のサガは彼女が苦手だったっけ」
「……というかアレはすでにトラウマの域だろ」
あの傍若無人で神すら殺そうとした男が、本気で怖がって脅えているのだから。
黒サガは一度と顔をあわせ、彼女の“お仕置き”をくらってから、彼女の前では欠片たりとも姿を現さなくなったのだ。名前を口にするだけでもビクつき、奥に引っ込んでしまうほど、そのトラウマは強烈に焼きついてしまっているらしい。
一体何をやったのかは知らないが、気付いたらそういう事になっていたのだ。不思議な事に。
あの時は流石のデスマスクも、我が妹ながら何とも容赦のない、と思ったものだ。
まぁ、それはさて置き。
「シュラにしては名案だな」
「どういう意味だ、デス」
「あらやだ、その物騒なもんしまってくんない?」
目の前で手刀を掲げるシュラに茶化すような言葉をかけながら、ジーンズのポケットから携帯を引き抜く。そうして、慣れた様子で短縮の1番を押した。
「……ああ、か。頼みがあんだけど」
そうして言い渡された最愛の兄からの提案に、電話の向こうのは喜々として頷いた。
「サガ、どうか頑張って生きてください」
「サガ様はもう充分に頑張っていますわ」
哀しそうに顔をしかめて祈るようにそう口にした沙織の言葉を、冷たい声が切って捨てる。
つい先日、突然現れて沙織に冷たい言葉の雨を浴びせかけたその声に、どこをも見ていないサガと向き合っていた沙織ははっと顔を上げ、視線を背後へと投げた。
長い白銀の髪を揺らし、白いワンピースの裾を靡かせて、その女性はデスマスクとシュラを背に引き連れて入ってくる。先日の事から、彼女にとっては敵地と言っても過言ではないほどであると言うのに、ぴんと背筋を伸ばした彼女の姿とその歩みはまるで彼女がこの地の主であるかのように威風堂々としていた。
女神の傍を固める教皇と星矢はその顔をこわばらせ、アフロディーテはにこりと笑みを浮かべた。
「あ、貴女は……」
「頑張っている人間にさらに頑張れとは、酷な事を言いますのね」
「どこがだよ、こんなんになってるのに!」
「サガ様は死にたがっていたのでしょう」
「……そう、なるの」
「ああ、あなたは分かっていらっしゃるのですね、教皇猊下。だからですわ。サガ様は頑張っていらっしゃいます。このように、自我を手放してしまわなければいけなくなるくらい」
白いスカートが汚れるのも構わず、は椅子に座るサガの前に跪く。そしてそっと、膝の上に置かれた手にその両手を重ねた。
「ずっとずっと、サガ様は頑張って生きていらっしゃいました。十三年前の、あの時からずっと」
十三年前、その言葉にサガのまつ毛がぴくりと震えた。
「何でそんな事が言えるんだよ、何も知らないのに」
「何も知らないのは貴方の方です。私はずっと見ていましたわ。お兄様方がサガ様についた、あの時からずっと」
星矢の言葉をぴしゃりと切り捨て、は優しく目を細める。
「どういうことだよ」
「何故ばかりではなく、多少は考えることをなさい。まぁいいでしょう。わたくしは押し問答をしに来たのではないのですから。十三年前のあの時からずっと、サガ様はその人格を乗っ取られていたわけではありません。一番最初に貴方に顔を見せたとき、サガ様はサガ様のままでしたでしょう?」
「あ、ああ」
「サガ様は十三年の間、何度も意識を入れ替えながら生きてきました。その間、己のしたことに絶望していたサガ様は、何度か自殺を試みた事があります。それを止めたのはお兄様方。せめて女神が聖域に戻られるまでは、と。その時からサガ様は、女神が聖域に戻ってくる事だけを考え、円滑に組織を運営できるようにと心を砕いていらっしゃった。死にたいと、そう口にしながらも」
とうとうと語るの声が、静かに響いた。
彼女の手の下で、サガの手が僅かに動く。
「頑張って、あの十三年の時を生きて、そうして沙織嬢、貴女がここに戻ってきた日、サガ様はやっと死という安息を手に入れる事ができたのです。けれどまた生を与えられた。死にたい、けれどそれでは沙織嬢の意に反する事になる。生きなければならない、でも自分が生きていることが許しがたい。己の心に板ばさみになって、サガ様は元から危うかった精神の均衡を保てなくなってしまった。そうして、生きるために、自我を手放すしかなくなってしまったのでしょう」
サガ様はもう充分に頑張っていらっしゃいます。
そう、は繰り返す。その視線の先で、どこをも見ていなかったサガの瞳が、ゆらりと揺らいだ。ゆっくりと、その焦点が、結ばれていく。
彼を見つめていたはその表情の変化に真っ先に気付き、重ねていた手をギュッと握り締めた。
「……んな、綺麗な、理由では、ない」
「「「「「「サガ!」」」」」」
の言葉を否定するその声は、久しぶりに発声したためか、かすれていた。
女神と星矢が彼に駆け寄ろうとするも、シュラとデスマスクに抑えられる。サガの一番近くに立つアフロディーテも、今は彼女に任せておく方がいいと、首を横に振った。
虫すらも呼吸を憚るような静寂がその場に満ちる中、とサガの声だけが、そこには存在した。
「私は、ただ、怖くて……」
「何がですか」
「生きている、ことが。生きなければ、ならない、ことが。他ならぬ、私、自身、が」
「そうですか。それは、とても怖い事ですわね」
「、も」
「怖いですわ、とても。今のこの地位も、わたくしの肩にかかっている、五千の組織とその人員の命も」
柔らかな声が、小さく呟かれる言葉に、相槌を打つ。
サガと相対する彼女のその母性とも言える温かく柔らかなものに満ちた雰囲気に、身を切るような冷たさしか向けられなかった沙織と星矢、シオンの三人は目を見張った。
サガは安堵したように、頬に伸ばされた小さな手に、己の手を添える。
「サガ様、もう無理に頑張らなくても良ろしいのですよ。貴方のめがみも、そのような事を望んではいらっしゃらないでしょう」
「女神……」
視線を彷徨わせる先で、沙織が必死に首を縦に振る。その様子をは内心満足げに見やり、小さく頷いた。
「サガ様、少しの間、頑張ることをおやめなさいませ」
「でも……」
「ずっとずっと頑張ってきたのですから、少しばかり休憩しても、誰も文句は言いませんわ」
戸惑うように、サガの視線が揺れる。その柳眉は顰められ、眉間に皺が寄った。
「ここでは気も休まりませんでしょうから、わたくしの屋敷へいらせられませ。貴方のめがみからの許可はもうもらっておりますわ。大丈夫。わたくしの屋敷には、貴方を傷つける怖いものは何もありません。ですから、どうぞ今は、休息を」
優しい少女の、優しい言葉に、サガはその言葉を肯定する女神を視界に納めた後、そっと目を閉じる。そして、あどけない子供のような顔で、頬に当てられた掌に擦り寄るようにして、小さく頷いた。
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あ、あれ、デスからの提案のはずがシュラからの提案になってしまった……。何故にー?
まぁそんなこんなで、サガの身柄はの預かりとなります。この後サガは小さな子供のように手を引かれて聖域を後にするのですよ、むふふふふv
サガとの関係は完全に母子です。年齢は10ほど離れていますが、気にしない。精神年齢はきっとサガよりも上です。怖いとか何とかいってますけど基本タフなので、押しつぶされもしなければ堪えられなくなる事もないんですね。
だからこそ、最終的には死に直結するような兄達の決断も促す事ができたという。でも当時は五歳。凄いね、ドンナ!
凄いと言えば、彼女サガを正気づかせることに成功しました。多分彼女の最愛のお兄様もこの事には驚いていると思われ。本当は私ももっとお人形さんでいてもらう予定で、の「おいで」という言葉に頷く程度で止めよう思っていたのですが、気が付いたらサガさんが暴走してくださってました。いやぁ、吃驚だ。
この後サガは彼女の屋敷で療養を兼ねて休息し、前よりも精神的に数段強くなって聖域に帰ることになります。期間としては3ヶ月くらいですかね。最初の一ヶ月は寝てばっかりで、次の一ヶ月はのファミリーと交流して、最後の一ヶ月にはの書類仕事の手伝いをしながらリハビリ、みたいな感じで。定期的な聖域との連絡は、がデスを通して行っています。サガはできうる限り聖域関係のものは遮断されてますので。
で、サガが連れて行かれた彼女のお屋敷(デスの実家でもある)でのエピソードはめんどいので考えてません。ネタを貰えたら書くかもですけど。気が向いたらどうぞ。
そうそう、ちなみに彼女とサガの身長差は約18センチです。彼女のプロフィールでも作りましょうかね、この際。
そして何気にさらっと書きましたが、黒サガはさんが苦手です。むしろ恐怖の対象です。アレが怖がるって本当に彼女は何をしたんでしょうか。謎です。
そういえば文中での台詞の「女神」がひらがなになっていますが、これはわざとです。だって彼女沙織さんが女神だって認めてないし。だからどうしても呼ばなきゃならない場面は沙織嬢とか貴女とか。彼女は徹底して沙織嬢をワガママな子供扱いいたしますよ、ええ。
も一つついでに、デスの持つ携帯はアルコバレーノのヴェルデが手を加えた特別製です。地上ならどんな場所からでも送受信可能な優れもの。海界や冥界でも使えるように現在も改良中だとか何とか。
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