問答無用のカーテンコール
愛しい人の小宇宙が消えた。まるで、奈落の底へと落ちていくように。
次から次へと、心から慕った人たちの小宇宙が消えていき、彼らを率いていた彼の人の小宇宙が消えたとき、は女神の帰還を知った。
ああ、終ったのだ。
ようやく、彼らにも安堵して眠れる夜が訪れたのだと思った。
けれども、胸にぽっかりと空いた、喪失感と悲しみと絶望の穴。
――たった一人の最愛の兄を、肉親を、亡くしてしまった。私は独りになってしまった。
離れていても常に寄り添っていた気配がなくなったことで、はそれを実感したのだ。
泣いて、泣いて、泣いて。
それでも涙は零れ落ちる。
そして、天文学的にもおかしな日食のあった日。
今一度の兄の気配の喪失と。
兄妹だからこそ分かる、兄の三度目の死を、その魂で知った。
泣いて泣いて、それでも、ドンナとしての仕事をこなして、また泣いて、日々を繰り返して。
「……ぁけんなっ!」
再び感じ取れるようになった愛しい人たちの小宇宙に、目の前が真っ赤に染まった。
「っざけんなっ、こんのクソったれ!!」
「きゃっ!」
突如として空間を割って現れた女は、そう叫ぶや否や、呆然としている沙織の頬を渾身の力で以って張り飛ばした。
沙織の短い悲鳴と共に、頬を打った音が尾を引いて響く。
まるで独活の大木のように突っ立っていた黄金の名を冠する聖闘士は、彼らの守るべき女神が頬を張られた勢いのまま倒れこんだ事で、ようやっと我に返り、何人かが彼女達との短い距離を詰めようとする。
しかし、女からむけられた鋭い視線と、その泣きはらした赤い目に気圧され、金縛りにかかったかのようにその場に縫い付けられてしまった。
女――はヒールの音も高く、石畳に座り込んだ沙織に歩み寄り、温もりの欠片も無い瞳で見下ろす。
「無理やり奪っておいて、いらないからって殺して、必要になったら生き返らせて……何様のつもりですか、このアマ!」
低く、地を這うような声で詰る。肩を震わせ見上げてくる少女を、は嘲った。
「ああ、地上のアイとヘイワを守るメガミさまでしたっけ? はっ、笑わせてくれますわね。何が女神だ、何が地上の愛と平和を守るだ、ただ使い勝手のいいオモチャで遊んでるだけじゃねーか!」
あからさまな悪意と身を切るような殺意に、沙織は身を震わせながら、ただ首を横に振った。
そんな事を思ってなどいないと言いたいのに、何か見えぬ力でせき止められているかのように、声が出ない。
「あんたはその言葉を実現するためだけに、どこくらいの人間が犠牲になってるか、知ってまして? 知りませんでしょうね。ぬくぬくと育てられた温室育ちのお姫様は、考えたことすらないんでしょうねぇ。ねぇ、お姫様。聖闘士たちがどうやって集められるか知っていらっしゃる?」
冷たい、凍えるような視線の中で、沙織は混乱しながらも首を振る。
の視界の端で、法衣を纏った麻呂眉の男が、血の気を引かせた。
彼らが少女へと再び駆け寄ろうとする前に、の手が女神の首を鷲掴みにする。
「動かないでくださいませ、まだ話の途中ですわ」
「卑怯な……!」
「はっ、戦いに卑怯もクソもありませんわよ。どこまで、話しましたっけ……ああ、聖闘士がどうやって連れてこられるか、でしたわね。大体の、見込みのある奴はまだ分別の付かない子供の内に攫ってこられますのよ。親のいない孤児は恰好の獲物ですわね、あんたが連れ歩いてる青銅どもみたいに」
「!?」
「他の聖闘士候補ですら、そうですわ。黄金なんてもんを引き当てちまった奴は悲惨でしてよ、中にはここに連れてくるために親を殺される連中だっているのですから」
「親、を……!?」
「ああ、マジで知りませんでしたの? それでよく人間を守るだなんて豪語できたもんですわね。所詮大事の前の小事ですか? お偉いことで」
「そんな、私は……っく!」
必死に否定の言葉を吐き出そうとした少女の首に、力を加える。
中身の伴わない言い訳の言葉など、聞きたくもなかった。
「なるほど、あんたは考えることすらまともにしてないのね。ああ、だから単身で敵地に乗り込むだなんて無謀な真似ができますの。その結果、死に物狂いであんたを追いかけて、血を流して、犠牲になるのがあんたの聖闘士だっていうのに」
「貴様、聞いておれば勝手なことを!」
「黙れ、わたくしはこの小娘と話をしてますのよ」
身を切り裂かんばかりの殺気が、びりびりと飛ぶ。
妙に迫力のある視線とその気配に、聖闘士たちのほとんどが血の気を引かせ息を呑んだ。
「そりゃぁね、組織の頭が前線に立たなきゃいけないこともあるでしょう。でもそれは時と場合によりますわ。初っ端から敵地に単身突っ込むだなんて、トップに立つ人間のすることではありません。自分のとった行動が部下にどう影響するのかも考えられないだなんて、ナンセンスですわ。知恵の女神が聞いて呆れます。己の命を危険に晒すということは部下の命を危険に晒すということ。己の命を投げ出すということは、己が背負った全てのものを投げ出すということ。それすらも分からないのなら、いっそ女神など止めておしまいなさい!」
すいと、目を細める。
白銀の扇状のまつ毛が縁取る瞳が美しい緋の色をしていることに、沙織はその時初めて気付いた。
「知ろうとしないことは罪。わからないなんて事は許されない。あんたが立つその場所は、そういう所。その自覚すらない者に、組織のトップに立つ資格はありません。例えそこに突っ立っている木偶の坊たちが認めても、わたくしはトップとしてのあんたも、女神としてのあんたも認めませんわ。ただ過剰な力を持ちワガママを振りかざす小娘で充分です」
一瞬だけ、骨も折れんばかりに首を締め付け、は少女の細い首筋から手を離す。
一歩、彼女から離れると、数人の黄金が彼女に駆け寄り、は取り押さえられる。
けれど、背後にあるのは、懐かしく、慕わしい者達の気配ばかりで、その身に触れるぬくもりに、枯れ果てるほど流したはずの涙が再びせり上がってきた。
愛しい人の、優しい声が、頭上から降る。
「で、御託は抜きにして、お前が一番言いたいことは何だ、」
外野から、「彼女を知っているのか」という声が聞こえてきたが、の耳には彼の声しか聞こえない。
ああ、名前を呼ぶその声が、何よりも、夢に見るほど聞きたかった。
「やっと、眠れたのだと、少しだけ、安心したのに」
「おう」
「なのに、また、こんな所……」
ひくりと、嗚咽がこぼれ、堰を切った涙が、とめどなく頬を伝った。
肩を押さえる手からするりと抜け出し、この世で一番大切な人の顔を、見上げた。
大好きな、大好きな、唯一の兄。
涙でぼやけてしまってはいたけれど、を見る瞳は、変わらず優しいままだった。
これが失われて、まるで身を削るような痛みと喪失感を覚えた。覚悟はしていたけれど、絶望に突き落とされたような思いと、底の見えぬ悲しみは抑え切れなかった。
もう二度と、そんな思いは耐えられない。
なのに、なのに……。
「わたくしは、後、何度、貴方を亡くせばよいのですかっ……!?」
悲痛な叫びが、いやに木霊した。
デスマスクの腕に縋るようにして彼を見上げていたは、固く目を瞑り、来たときと同じように空間を割って消える。
涙で描かれた軌跡だけが、その場には残った。
「思ってたより、傷つけちまってたんだな……」
苦笑を浮かべ、涙の雫がこぼれた掌を握る。
そんな恋人の様子に、アフロディーテは柔らかな笑みを浮かべ、とんとその手を叩いた。
「早く追いかけて、慰めてこい。あの子の事だから、きっとまた独りで泣いてる」
「ここは俺たちに任せろ」
「親切すぎて気持ちわりーな」
「「の為だからな」」
異口同音で返ってきた台詞に、デスマスクはひらりと片手を振り、聖衣を脱いで、最愛の妹の後を追った。
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再会と女神への謁見シーンが見て見たいというネタを頂いたので、書いてみました。
けど再会というよりもかなり一方的で、謁見して説教というよりも、殴りこんで恨み言と嫌味を吹っ掛けているような……。どないでしょう。
彼女はどちらかというとこんな怒鳴り込むようなタイプではなく、静かに怒りを燃やしながら笑顔で毒を吐くタイプなのですが、こういうのもありなんですね。自分で書いててびっくり。
で、この後はきっと物議がかもされていると思われ。ディタとシュラは大変ですね、ええ。
でもそこまで書く気力が無いので、デッちゃんに追っかけてもらうところまでにしました。
そう言えばかなりナチュラルに書いてますが、彼女は小宇宙が使えます。感知できます。
ノリとしては年中組が面白がって教えたら、あら本当に使えちゃった、みたな。ですのでエクスカリバーとロイヤルデモンローズと積尸気冥界波が使えたりします。
でも本職ではないのでそれほど威力はなかったり。せいぜい普通の青銅ととんとんかちょっと下くらい。(それでも充分強いか?)
そんなんで並み居る黄金達の足を止めたのは、奇襲が成功して動揺したのと、彼女の持つ異常なくらいのカリスマ性のおかげです。彼女はだてにマフィアのボスをして、荒くれどもを統べているわけじゃありません。
リコリス(デフォ)はこの時怒りと悲しみが前面に押し出されて混乱して興奮してますが、彼らが戻ってきた事を嫌がってるわけじゃありません。むしろ嬉しいはずなのに、自然の理に反する事だし、世界には死んだ人間がごまんといるのに聖闘士だけ(冥闘士も海闘士もですが)生き返っていることが許せないという。
そんなゲームみたいな事が許される世界がその範囲だけという事もあって、リコリスもそれは理解してはいるけど感情が付いていかない、みたいな。作中で彼女が言っている「親が殺される〜」っていうのはデスと彼女自身の経験です。ええ。デスマスクは親殺されて妹も殺されたいかと脅されて、無理やり連れて行かれました。
もちろん復讐心はめらめら。でもその時には親を殺した仇を倒す力も無かったので、ゆっくりと牙を研ぎながら機会を待ってたんですねー。で、サガの乱の混乱期にどさくさに紛れて、親を殺した聖闘士たちを始末しました。
でも彼は張本人たち以外には憎しみもわかなかったので、聖闘士の人生もそれなりに楽しく過ごしてたり。
デスマスクは逆境に陥っても、それはそれで楽しみを見出す事ができる人だと思います。
ちなみに聖戦を見ていないはずの彼女が何故沙織お嬢が単身敵地に突っ込んで行ったのを知っているかというのは、情報収集担当の部下ロッソ(25歳で赤い髪と紅茶の瞳のグラマラスな美女)からの情報です。どうやってその情報を収拾したのかは私も知りません。ロッソさんは謎の情報網を所有しているのです。
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